「立派な人」

A. 趣味が通じる四人の甥っ子たち

 先週の日曜日、牧師先生の甥の4人兄弟の一人、高2のT君が礼拝に出席しました。昭和時代のものに関心があるT君に、先生が趣味で持っておられた5球スーパーラジオとBCLラジオをプレゼントしました。他の兄弟の3人もそれぞれ趣味が異なりますが、先生とはそれぞれ共通で楽しめるものがあり(鉄道、車、ギター)、叔父である先生は、彼らの賜物と少しずつ接点を持てることが有難いと語っています。
 バルナバは、サウロの伝道者としての賜物を見抜き、異邦人伝道の協力者にしました。

B.聖書より

  

バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。使徒言行録11章24節
 イエス様の召天後、弟子たちはユダヤ人に伝道していました。ところが、ステファノの殉教から異邦人伝道へとつがなり、少しずつ各地でユダヤ人以外にも広まってきます。アンティオキアは、不道徳な人々で有名な商業都市でしたが、イエス様の教え、奇跡、十字架、復活が伝わりました。そこで、さらに良くなるようにと、聖霊で満ちていた立派な人物バルナバが教会から派遣され、多くの人が信仰をもつこととなりました。立派な人物とは、聖霊の導きによる恵みを多く体験し、どんな時も信仰を失わず、嫉妬せず他人の長所を見抜く賜物を持っている人のことです。バルナバは、サウロ(パウロ)を協力者として選び、アンティオキアにできた教会で1年間、多くの人を教えました。この人々が初めてクリスチャンと呼ばれるようになったのです。

C. 女性たちの代弁者 フランシス・ウィラード

 フランシス・ウィラードは、1839年、ニューヨーク州の教師の家系に生まれました。彼女の最も初期の記憶は、家の食堂の壁に掛けられていた鉄製の版画でした。「その小さな絵の中心には、優しそうな女性と明るく幸せな禁酒を守る家族が描かれており、一方それと向かい合ったところには、酒(さか)瓶(びん)を手に持ち、酔っ払ってふらついている男性と、もの寂しく不潔な家が描かれていました。無意識のうちに、私は消し去ることのできない一つの教訓を学んだのです。・・」と、ウィラードは語っています。
 ウィラードは、ノースウェスタン女子大学で学び、母校で教授となります。同時に、禁酒運動を始めますが、大学が合併すると、彼女の方法は、大学や男子学生には受け入れられず、辞職することになりました。その後も禁酒運動を始めようとしますが、その資金もなく、母の世話をする必要もありました。そんな頃、滞在していたホテルに備えられていた聖書を開くと、「主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る」(詩篇37:3 口語訳)とあり、それが彼女にとって転機となり、信仰が確立しました。間もなくウィラードは同じ日に二通の手紙を受け取ります。一つは、ニューヨーク市にある若い女性のための格式高い学校の「学長」への招へいの手紙で、もう一つは、シカゴの「青少年禁酒同盟」の会長となってほしい、という要請でした。それも資金などない団体でしたが、強い信仰に支えられていました。彼女はただちに、学長となる申し出を断り、シカゴへと向かいました。
 禁酒運動を続けると、ウィラードは大酒と不道徳が言わば「結合双生児」であることを学びました。そして、社会には、アルコール飲料に対し本能的に強く反対する層が存在していることも分かりました。この層とは、飲酒を好まない女性たちです。この女性の真心から出た神聖な光と力を社会に注ぎたいと、ウィラードは、各地にあったクリスチャン女性禁酒会を組織化し、世界クリスチャン女性禁酒会(世界矯風会)を創設したのです。その使命は、平和と純潔、家庭の保護と意気揚々のため、世界的に母性愛を組織化することでした。ウィラードは会長職にあった期間、全米、人口一万人以上の全ての町で講演し、当時の歴代大統領に会い、ビクトリア女王にも紹介されました。当時、世界の人にとってワシントンやリンカーンよりも著名な米国人だと言われたほどです。
 クリスチャン教師の家に育った恵みを受け、信仰により世界禁酒会創立への道を切り開き、特に女性たちの母性愛という賜物の力を、世界に及ぼした彼女は、聖書が言う「立派な人」でした。

D.結び

 立派な人とは、信仰を持ち、恵みを多く体験し、人の良い点を引き出す人のことです。神さまは愛であって、愛のない人生に価値を見出すことはできないのです。
御翼2010年1月号その4より


  
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